曲のあれこれ(その1)
歌謡曲の背景や逸話を調べて、演奏会にエピソードとして紹介しています。
みんなの広場 ゆい レコード演奏会(平成31年3月4日)で演奏した曲のエピソードをご紹介します。
◇港町十三番地(昭和32年発売):美空ひばり (石本美由紀作詞/上原げんと作曲)
港町とつくと美空ひばりというくらい有名な曲です。この港町十三番地の地名はないとのことですが、この曲の発売元である日本コロンビア本社・工場の地名が川崎市港町(京急大師線港町駅のすぐそばだった)であったことから、作詞者(石本美由紀)はゴロの良い十三番地を歌に入れたとのことです。そういう意味では、どこの港町でも遠洋航路があれば良いかもしれないですが、マドロスが似合うのは横浜か、神戸でしょうかね。
◇古城(昭和32年発売):三橋美智也 (高橋掬太郎作詞/細川潤一作曲)
今でもどの城をモデルにしたのかという議論がありますが、どうも作者(高橋掬太郎)は特定の城ではなかったようです。ただ、観光となると話は別、おらが城がモデルと名乗りを上げているのが石川県の七尾城です。歌碑も立っているとか…
高橋掬太郎は「あゝ七尾城」の作者でもあるので、この城のイメージから連想したとしても当然かもしれませんが。
◇逢いたいなアあの人に(昭和31年発売):島倉千代子 (石本美由紀作詞/上原げんと作曲)
昭和30年に「この世の花」でデビューした後、矢継ぎ早に新曲を出し、歌唱力の高さからヒット曲が続き、この曲も昭和31年に発売されたが翌年の第8回紅白歌合戦に初出場した。以降紅白には30回連続出場を果たした記念すべき曲です。(作詞は石本美由紀)
歌詞の中にもありますが、このころの女性はもんぺ姿で姉さんかぶりが当たり前でした。恐らく島倉千代子が17才の時の歌なので、その年代の女性の心情を思って作られた歌なのでしょうね。
◇赤いランプの終列車(昭和27年発売):春日八郎 (大倉芳郎作詞/江口夜詩作曲)
この歌は今でもカラオケで多く歌われている懐かしい曲ですね。春日八郎のデビュー曲で、この後、「お富さん」、「別れの一本杉」、「あん時ゃどしゃ降り」、「長崎の女」と立て続けに大ヒットを放ちました。デビューする前は7年間も曲が貰えず、この歌が最後といわれたそうです。(作詞は大倉芳郎)
恋人とホームで別れ、最終列車にさらばと乗って、それを見送る彼女の目には列車の赤いランプが遠ざかる。このような風景は、今ではあり得ないかもしれませんね。JRの特急電車では速すぎてこの情景は想像できません。
◇船方さんよ(昭和32年発売):三波春夫 (門井八郎作詞/春川一夫作曲)
ドーナツ盤ではA面が「チャンチキおけさ」、B面にこの「船方さんよ」が録音されていましたが、どちらもヒットしました。このヒットで日活が映画を制作し、三波春夫も出演していたそうです。このころの日活映画はやくざものやマドロスものの映画が多かったので、これは後者の方なのでしょう。
歌のイメージからすると、船に棹さす船頭に恋人らしき姉さんかぶりのお姉さんが「おーい船方さんよ」呼びかけるイメージなのですがね。
◇君恋し(昭和36年発売):フランク永井 (
オリジナル曲は昭和4年に発売されたスローテンポの曲だったそうですが、昭和36年にこの曲をスイング・ジャズ風にアレンジし、フランク永井の甘い低音の魅力が聴く人の心を捉えて大ヒットしました。元は佐々紅華の作詞・作曲でしたが、フランク永井の歌は佐々紅華の曲を元に寺岡真三がこの編曲を手掛けています。
フランク永井の曲は昭和32年にデビュー曲「有楽町で逢いましょう」をヒットさせ、「東京午前3時」「夜霧の第二国道」「夜霧に消えたチャコ」なども矢継ぎ早にヒットさせ、一流歌手の仲間入りをしました。
◇王将(昭和36年発売):村田英雄
この曲は大阪出身の棋士坂田三吉をモデルにしたものですが、浪曲師だった村田だったが、古賀政男に見いだされ昭和33年に歌手デビューしたもののあまりヒット曲がなかった。しかし昭和36年に発売したこの「王将」が大ヒット。第12回の紅白歌合戦にでるなど一躍有名歌手の仲間入りを果たしました。レコードがミリオンセラーとなり、翌年日本レコード大賞特別賞を受賞しています。
この曲の坂田三吉と村田英雄ともに、成功までの努力や細君の苦労は並大抵のものではなかったと思いますが、何か似ている感じがします。
◇喜びも悲しみも幾年月(昭和32年発売):若山彰
木下恵介監督の同名映画の主題歌で作詞・作曲は木下監督の弟である木下忠治が手掛けました。実在の灯台守の妻・田中キヨの手記に基づいて作られたものです。灯台守の夫婦を佐田啓二と高峰秀子が演じました。夫婦は、昭和7年の神奈川県観音埼灯台から始まって、北海道から九州まで各地の灯台を転勤して回りますが、その間に家族が味わった哀歓や同僚たちとの交流がテーマになっています。
若山彰の力強い歌声が戦後の復興に明るさを与えましたが、小学生までもが「おいら岬の灯台守は…」とよく歌っていたものです。
◇お祭りマンボ(昭和27年発売):美空ひばり
マンボのテンポで踊りだしたくなるようなコミカルな曲ですが、作詞・作曲の原六朗は日本橋馬喰町出身といわれるだけあって、江戸っ子のお祭り騒ぎが好きだったのでしょうか。
この歌の歌詞もお祭り騒ぎにすべてを忘れた人の喜びと悲哀を良く表していると思います。最後に「後の祭りよ」という落ちも最高ですね。この歌は美空ひばりが好んで歌っていた曲の一つです。
◇高校三年生(昭和38年発売):舟木一夫
舟木一夫のデビュー曲(作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実)ですが、当時は猫も杓子も「赤い夕陽に校舎を染めて…」と歌ったぐらい、今でもカラオケで歌われている懐かしい曲です。 昭和38年日本レコード大賞の新人賞に選ばれた曲でもあるのです。また、同名の映画も同年に大映が制作し、舟木が出演しています。(倉石功、姿美千子、高田美和共演)
この頃、東京五輪に向けて建設ラッシュで、日本が右肩上がりの驚異的な高度経済成長を遂げたのです。米国との間で初の衛星テレビ中継の時、第1報がケネディ大統領の暗殺のニュースがあったのもこの年でした。
◇岩手の和尚さん(昭和33年発売):三橋美智也
三橋美智也のヒット曲ですが、カラオケでも良く歌われているようです。マンボ調のコミカルな曲で寒い時期には「おおさむ・こさむ」と口ずさみそうになります。
岩手の和尚さんと小僧さんは山から下りてきて寺はカラッポ、村祭りの太鼓や笛の音色につられて白頭巾を被って踊りだす風景が、なんとなく想像できて楽しい歌ですね。
◇お富さん(昭和29年発売):春日八郎
「お富さん」は春日八郎が「赤いランプの終列車」でデビューした2年後の昭和29年に発表した演歌で、125万枚の大ヒットでした。この「お富さん」は歌舞伎で有名な「与話(よわなさけ)情浮名横櫛(うきなのよこぐし)」の源氏店(げんじだな)の場を歌ったものです。歌舞伎では実際にいる人物や場所の特定は避けたようですが、この源氏店は「げんやだな」のことだそうです。
「げんやだな」とは、日本橋人形町に近い場所の地名です。三代将軍家光お抱えの医師、岡本げんやが大病にかかった家光の命を救ったことから褒美に土地を与えられ、町民に住まいを提供したことからその場所を玄冶店というようになったとのことです。
歌詞をよく見てみると、歌舞伎の場面が浮かんでくるようで、作詞者(山崎正)に拍手ですね。