レコードにまつわる話・独り言

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」歌詞の内容を考えると、時代の流れやその背景が見えてきます。歌詞のフレーズや歴史を考えながら音楽を楽しむのも、実に面白いですね。

◇戦前

・太平洋戦争が始まる前は、娯楽といえば映画や演劇が主体でした。そのため、映画の挿入歌がそのままレコードになっています。恋愛も堂々とできない時代を背景に、メロドラマやすれ違いの映画が多かったのもこのころです。「新妻鏡」や「愛染かつら」などの映画がヒットしました。

一方、股旅もの、任侠ものの映画や舞台の影響が強く、「名月赤城山」「大利根月夜」や「流転」などがヒットしています。

・このころのレコードはSP盤が主体で蓄音機といわれる手回しでゼンマイを巻き、演奏する装置にかけるのが一般的で、レコードの回転数も78回転とLPレコードの倍以上でした。           スピーカーの代わりにラッパが付いていて、レコード針も鉄針や竹針で演奏していました。今では考えられないほど音質も悪かったのですが、ある意味お金持ちのステータスシンボルだったのでしょうね。今でもレトロな感じが好まれ、マニアの蒐集対象になっています。

◇戦中

・戦中は軍部からの検閲も厳しく、恋愛ものはご法度、そのため軍歌が主体でした。軍歌の歌詞の中には、潔く死を恐れない様や激戦の中でもお国のためにと勇猛果敢なものが多いのですが、やはり裏を返せば、行間に故郷や両親を想う気持ちが伝わってきますね。

・有名な軍歌では「同期の桜」、「戦友」、「麦と兵隊」、「敵は幾萬」、「海ゆかば」などがあります。自ら戦争を体験していない世代ですが、二度と戦争は起こしてはいけないと思います。

◇戦後(昭和20~30年代)

・戦争が終わると、戦地からの引き上げを待つ人や、戦死した人を想う歌が歌われました。「岸壁の母」「東京だヨおっ母さん」「東京見物」などがヒットしています。

・昭和20年から30年にかけて美空ひばり、三橋美智也、フランク永井、春日八郎、島倉千代子などの曲が多く歌われ、より明るい歌が好まれるようになり、戦後の復興に一役買ったものです。

・地方から都会へと職を求めて若者の移動が始まり、歌詞にも故郷を思う気持ちが詠まれたものも多いのがこの頃の歌の特徴です。                                「リンゴ追分(美空)」、「リンゴ村から(三橋)」、「夕焼けトンビ(三橋)」、「りんどう峠(島倉)」などは今でも口ずさむことができる懐かしい曲です。

・昭和25年ころには民放のラジオ局が開局し、ラジオが庶民の娯楽の主体となりました。ただラジオ自体はまだ高価で、マニアが部品を集めて手作りでラジオを製作する時代でした。

・松下電器(現パナソニック)、早川電機工業(現シャープ)、八欧電気(現富士通ゼネラル)などもこの頃ラジオの製造で急成長した会社であることを考えると、家電メーカーの現状を考えると時代の変化を感じますね。

・ラジオから流れてくる歌謡曲や浪曲、講談などが家族の娯楽であるとともに、話題の中心でもあり、一同がちゃぶ台を囲みラジオを聴きながら食事をするなど懐かしい時代でもありました。

・戦後の復興とともに、アメリカ映画に憧れ、文化生活を望むように3種の神器として白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が庶民の夢でした。昭和30年代は井戸で水を汲み、かまどで炊飯や料理をするのが当たり前、電灯も裸電球が一般的で、毎日のように停電がありました。

・しかしレコード業界では、レコード盤も改良が進み、塩化ビニール製が出回り始めました。一方で真空管が安く出回り、真空管のアンプも手ごろな価格で買えるようになり、機械式の蓄音機から電気式の蓄音機にとって代わった時代です。

・昭和33年にはレコードにステレオで録音できる技術が開発され、一挙にレコードにステレオ時代が到来しました。

・昭和31年の経済白書にも「もはや戦後ではない」と書かれたように、国民生活にもゆとりが出てきて、昭和30年代後半には家庭のステータスシンボルは家具調タイプのステレオプレーヤでした。白黒テレビも高嶺の花でしたが、街頭テレビやお金持ちの家庭で買ったテレビなどで近所の人が映画館のように見に行ったものでした。

・昭和30年代後半には高校生だった橋幸夫の「潮来笠」や舟木一夫の「高校三年生)」が大ヒット、加えて昭和39年に開催された東京オリンピックに向けて三波春夫や三橋美智也などの競作となった「東京五輪音頭」であったが、三波春夫の曲が大ヒットとなり、この歌で国民的な歌手の仲間入りをしました。

◇昭和40年代以降

・昭和39年の東京五輪の成功を契機に高度成長期に入り、所得倍増が叫ばれて、好景気が続いた活力のある時代でした。カラーテレビも国民生活の必需品となり、大増産が始まった時代です。

・安価なトランジスタラジオやレコードプレーヤも巷に溢れ、音楽がだれでも手軽に楽しめる時代になりました。テレビでも歌番組が娯楽の中心で、どのチャンネルを回してもアイドルやグループサウンドが出演し、多くの曲が出回った時代です。

・レコードも7インチ(17センチ)のドーナツ盤が数多く発売され、歌手がプロダクションの力を背景に発売枚数を競いました。カセットテープやCDの出現はもう少し後になります。         カセットテープ(音楽用は昭和40年代半ば以降)、CD(昭和58年~)

・海外ではエルビスプレスリー、ビートルズ、クリフリチャード、コニーフランシス、パットブーンなどポピュラー音楽最盛期ともいえる時代で、ビルボード誌やキャッシュボックス誌で掲載されるレコードの売り上げランクを聞くのが楽しみの一つでした。カンツォーネ、シャンソン、タンゴ、ラテン音楽など多彩な音楽が入ってきたのもこのころです。昭和41年に来日したビートルズの過熱ぶりは、失神した人が多発するなど、想像を絶するものでした。

・モダンフォークといわれるフォークソングが流行したのも昭和40年代です。キングストントリオ、ブラザーズフォー、ピーターポール&マリー、ジョーンバエズなどのヒット曲が数多く生まれました。有名な曲は「トムドーリ」、「花は何処へ行ったの」、「500マイルも離れて」、「パフ」など今でも歌い継がれています。

・この頃以降は、テレビの影響で歌詞を楽しむよりもリズム、演奏スタイル、ルックスなど音楽の価値観が変わってきたように感じられます。

◇デジタル化の流れとレコードの回帰へ

・CDをはじめ、BS放送、地デジ、4K/8K放送とあらゆるメディアがデジタル化に移行しました。これは音質の劣化がないという理由のほか、帯域圧縮が可能なため、使い勝手も良く、携帯端末でも簡単にたくさんの音楽が楽しめるというのが最大の利点です。

・しかし軽薄短小の流れは、音質劣化を招いているのも事実です。例えば、液晶テレビは薄型ゆえに置き場所の制限は少なくなりましたが、テレビの音質は残念ながら良いとは言えません。決して送られてくる音声の質が悪いのではなく、小型スピーカーでは忠実性の良い音声を出すことができないのです。そのため、TVのHDMI端子から別のアンプに接続して音楽を楽しむなどはできますが一般的ではなく、結果的にテレビの音はこんなものかと我慢して聴いているのが実情ではないでしょうか。

・レコードはアナログなので、帯域圧縮することなしに、良い音を楽しめるためか、最近では隠れたレコードブームとなってきており、昔のLPレコードを蒐集する若い世代も多いとか…


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